レーサム田中剛 急成長の理由とは?さらなる成長の為に行う戦略とは?詳しくご紹介します。

社長

元々あった物件をリノベーションしたり、新たな付加価値をつけてバージョンアップを行ったりすることで、より魅力的な物件などを提供して資産運用につなげていく株式会社レーサム。1992年株式会社レーサムリサーチが誕生し、以来30年にわたって発展を続けてきました。そんな株式会社レーサムを創業し、現在は取締役会長として後進に道を譲りながら人材育成に励んでいるのが田中剛さんです。田中剛さんは株式会社レーサムをどのように牽引し、どのような会社に育てていきたいのかをチェックします。

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周辺の住宅事情、需要などを見込んで住宅開発を行うケースや、周辺エリアのニーズに沿う物件を作ったりするケースなど、不動産業者は様々な観点から開発に取り組んでいきます。とはいえ、本当に地域の事を考えて開発しているケースはそこまで多いわけではなく不動産業者の思惑が色々と見えてきます。しかし、物件に付加価値をつけることで地域の人にも愛され、投資をした人にも喜ばれる物件をどんどん供給する不動産業者が存在します。それが株式会社レーサムです。

株式会社レーサムは1992年に設立されており、そこから30年ほど紆余曲折を経て今があります。このレーサムはある1人の経営者が20代の時に設立された会社ですが、その経営者こそ、現在は取締役会長を務める田中剛さんです。レーサムの30年間は田中剛さんの苦闘の歴史であり、ブラッシュアップを重ねた日々と言えるでしょう。

 

まだまだ若い田中剛さん

今でこそ20代で起業をする人は珍しくありませんが、まだバブル景気の熱気が残っている時代に、しかも不動産業界となるとかなり限られてきます。田中剛さんもまさにその1人で、生年月日は1965年5月12日生まれ、設立した1992年当時は27歳でした。現在もまだ還暦にもなっておらず、30年を経過してもなお現役世代と言えるでしょう。

そんな田中剛さんは北海道で生まれ育っており、日本大学理工学部に進学をしています。田中剛さんは研究に明け暮れ、大手企業の研究職に内定していました。当時はバブル景気がこれからやってくるような時代であり、今の学生と違って引く手あまたな状況。しかし、田中剛さんは研究職のイメージがわかず、内定を辞退するとともに大学も中退してしまいます。

これからどんな仕事に就こうかという時に不動産業界なら自分のポテンシャルを出せるのではないかと考え、1988年に不動産会社に入社。入社後すぐに結果を出し、営業成績はトップ。研究ではなくセールスですぐに結果を出した田中剛さんでしたが、当時の不動産業界のスタイルに嫌気が差します。こうしてせっかく入った不動産会社をやめると、自ら経営コンサルの研究会を組織し、3年間で2億円を稼ぎます。この2億円の元手で、1992年株式会社レーサムリサーチを立ち上げます。

1992年に立ち上げた当時、売り上げ8億円はコンサル業務で稼いだ額からすれば相当なものにみえますが、営業利益は出せておらず、ここから田中剛さんは様々な苦労を経験し、大きな成長を遂げることになります。

 

レーサム急成長のきっかけは債権回収

現在は資産運用の事業を中心にまとめ、付加価値をつけて物件を売り出す手法が定着しましたが、レーサムリサーチ時代に急成長を遂げることになるのは債権回収がきっかけでした。債権回収と聞くと、借金の取り立てみたいなイメージをするかもしれませんが、全く違います。金融機関にお金を借りる際、担保となる不動産を差し出して代わりにお金を借りるのが一般的でしたが、この債権が不良債権化し、90年代後半かなりの問題になりました。

そんな状態に目を付けたのがレーサムリサーチ、田中剛さんでした。不良債権の状態になったマンションをどんどん仕入れてそれを投資家に売るというやり方です。不良債権が現金化することで債権者も債務者も互いにWin-Winになるやり方で、大変画期的でした。売掛金をネットを通じて現金化する動きは令和に入ってかなりやりやすくなっていますが、平成初期に時代に先駆けてレーサムリサーチがやっていたわけですから、すごい話です。

ここからのレーサムは破竹の勢いを見せ、不良債権の買取、債権回収会社の買収、国有不動産の入札参加、株式上場と一気に勢いをつけていきます。株式上場で得た資金は当時破綻した生命保険会社が企画していたプロジェクトの取得、商業ビルの開発につながり、大きく急成長をします。2002年の時点で実に1兆円を超える不良債権投資に関与しており、田中剛さんの目の付け所のすばらしさを感じさせます。

 

債権回収から本格的な物件開発へ

不良債権を処理しようがなく、レーサムが代わって不良債権処理のために動きに動いた時代は1990年代の後半。ここで多くの収益を得たことでレーサムは成長します。ところが、不良債権の処理がひと段落すると、当初の目的は達成されており、思うように収益を得られなくなります。そこで2018年、レーサムは債権回収に関する事業廃止を決断します。この時、田中剛さんは取締役会長になっていました。

田中剛さんはレーサムが買収したゴルフ場の経営を行う会社で代表取締役を務めるなど、付加価値をつけて物件の価値を高める動きをとっていました。この動きに呼応するように、物件1件1件の価格が高くなり、より本格的な物件開発が行われるようになります。不良債権化された物件を価値を高めて売り出すというノウハウが、物件開発に生かされており、それが武器になっています。

レーサムが行うプロジェクトの中には評価額だけで100億円を超えるような物件がいくつもあり、これを数倍にしてその分の収益を得るやり方が行われるようになります。これは現在も続いており、改修工事や大規模な開発を経て仕入れた費用以上の利益を出そうと動いています。

 

田中剛さんの次なる一手とは

現在はレーサムグループにとって欠かせない立派な経営者を1人でも多く育てようと、田中剛さんは奮闘しています。そんな田中剛さんの次なる一手は経営者を育てることと、自らの手腕と同じようなレベルを幹部たちに求めていくことがポイントになってくるでしょう。設立30年を迎え、株式会社レーサムはさらなる発展を遂げなければいけなくなっています。ここから先、どのように進化を遂げていくのかは誰にもわかりません。

自らはレーサムの取締役会長として一歩引いたところにいますが、資産を管理する会社を通じて現在も影響力は残しており、いつでもレーサムの社長に戻れるような状況にし、より一層自覚を促すようなポジションを確立しています。現在の経営陣になって3年以上が経過する中で、色々な困難が立ちはだかっており、どのように乗り越えるのかをみているのかもしれません。

 

まとめ

レーサムがここまでの進化を遂げたのは間違いなく田中剛さんのリーダーシップによるものですが、ここからのレーサムの発展は田中剛さんがこれまで示してきたリーダーシップ以上のものが求められるようになるでしょう。それが実現することを田中剛さんは待ち望んでいます。安心して会社を委ねられるかどうか、コロナを乗り越えた次のステージにかかっているでしょう。